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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

(12)新たなる旅路


《ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回》 (2003年8月の旅の記録) 

(12)新たなる旅路

あれから3週間。私の頭の中には、すでに次回の旅の青写真ができつつある。
9月の第1週に予定されている、姪の結婚式に出席するために帰って来る夫と相談し、帰郷したついでに、郷里周辺に点在する主に新ヒッタイト王国時代のレリーフに出会う旅としたいと考えているのだ。

ヒッタイト帝国の滅亡時、ハットゥシャ城内に忍び込んだ何者かによって、極めて計画的な形で行われた略奪と放火による都市崩壊から逃れて脱出し、生き延びた人々の多くは、トロス山脈を越えてトルコ南東部へと移り住み、そこで新たなる王国を建設したという。
これを一般に、新ヒッタイト王国と呼び、帝国の滅亡からさらに500年の間、現在のアダナ、ガズィアンテプ、マラティアとその辺り一帯においてヒッタイトの伝統と文化を守り続けていたと言われている。

まずは西から。アダナの東20km。ヤカプナルとジェイハンとの間にあるスィルケリという村では、ジェイハン河の岩壁に彫られているという、BC1200年代前半の皇帝ムワタリ2世のレリーフを見ることができるという。

そこから北東へ。ジェイハン河沿いに建設されたダム、アスランタシュ・バラージュを見渡すカラテペ・アスランタシュ国立公園内には、数多くのレリーフで飾られた岩のブロック(これを専門的にはオルトスタットという)が発見された場所にそのまま展示してあるという、いわば“野外博物館”がある。ここはBC8世紀、新ヒッタイトのアスィタワタ王によって建設された夏の宮殿があったことが明らかになっている。

さらに東へ。ガズィアンテプの手前80km。ズィンジルリも新ヒッタイト王国の都市の一つ。しかし、ここから発掘された目ぼしい彫刻作品などは、イスタンブールやベルリン、ガズィアンテプの博物館に分散されて現地には残っていないという。

そこから南に40km。イェセメックは、BC13世紀からBC8世紀まで、つまりヒッタイト帝国末期から新ヒッタイト王国末期にかけて、彫刻を製作するための専門工房があったと考えられる場所で、現在は彫刻公園として公開されている。
緩やかな丘陵地に合わせて300点(!)もの彫刻やオルトスタットが、製作された場所にそのまま遺されているそうだ。

それからさらに・・・

中央アナトリアに広範に点在するヒッタイト関連の地を、ひとつ、またひとつと訪れていくこの旅は、長い時間と移動を要する巡礼の旅のようでもあり、解読の愉しみと知的刺激に満ちたクロスワードパズルのようなものでもある。
マスを一つずつ埋めていくごとに新たな手掛かりが見つかり、それぞれの記号が有機的に結びついて、やがて知識と情報に埋め尽くされた大きな絨毯が織り上がる。

いつ完遂するとも知れぬ旅だが、じっくりと何年もかけて取り組んでいきたい。
これらの旅を通して得た感動と知的興奮が、このページを訪れる方々に少しでも伝わることを願いつつ、私の夢は今日もアナトリアの大地を駆け巡っている。

 おわり

     ※お詫び:ファスルラル村のレリーフ群、ベイシェヒル橋、湖畔の夕焼け、エフラトゥン・プナールの
     写真をぜひご紹介したかったのですが、どうやっても縮小ソフトに読み込むことが出来ず、
     諦めざるをえませんでした。




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